重い女

思えば、昔から寝ている男の子の顔を見るのが好きだった。

 

 

私は、トランスジェンダーで、アラフォーで、妊娠、出産能力が無い。

 

私の恋愛観なんて、飯の種にもならないけれど、それでも死ぬ前に一度くらい書き留めておいても良い気がする。

 

 

思えば昔から、私は男の子の寝顔を見るのが好きだった。

いや、正確には、男の中にある、無邪気さ、無垢さ、が結局の所好きだったのだと思う。

 

私は自分でも面倒くさい女だなと思う。

 

「面倒くさい」

 

どうしようもなく面倒くさい。

 

 

 

 

 

私は父が嫌いだった。

 

無神経で、家の中でだけ威張り散らし、その癖、弱い人だった。

自分の事しか見ていない人だった。

だから嫌いだった。

 

でも本当のところ、私は多分家族の中で誰よりも父に好かれたかったのだと思う。

 

両親が別居を決めた時、私は心の底からいい気味だと思った。

父には母が必要だった。

けれど、母は父を選ばなかった。

父は捨てられたのだ。

母は、私たち子供を選んだ。

 

父。

 

どうしようもなくどうしようもない人で、けれど、悪人ではなかった。

だからたちが悪かった。

 

彼は常に苛ついていた。

肝の小さい人だったのだと思う。

だから自分が不安になると、すぐに家族に当たり散らした。

その不安は、彼が怯えているその元凶は、いつかもしかしたら訪れるかもしれない災厄、未来。

まだ遠く、その片鱗すら見せないそれを想像しては不安になり、周囲に当たり散らす。

彼は弱い人だった。

 

私は当初、対話を求めた。

 

「話して分からない人はいない」と思っていた。

実際に、今でもある程度はそうであるように思う。

だけど、人はそんなに簡単に変わらない。

私も、私を変えられないように。

 

結局、家族の中で最後まで父を諦めなかったのは私だった。

あんなに嫌いだったのに。

私は家族が離ればなれになるのが嫌だった。

 

怒らないお父さん。

優しいお母さん。

呑気な弟。

 

私が欲しかったのは、そんな何処にでもある、何も特別な所のない家族の形だった。

 

だけど結局、私たち家族は普通ではなくなってしまった。

 

私が普通でないように。

 

 

 

 

昔から男の子の寝顔を見るのが好きだった。

 

それは多分、彼らの中にある善性───私がどうしたって、どうしようもなく、一度たりとも持ち得なかった「気楽さ」を、彼らの中に見、それを愛していたのだった。

 

男の子の気楽さは、いつも私を軽い気持ちにさせる。

 

重い女。

重いから、私は、好きな人に軽さを求める。

 

何一つ面倒な所のない思考。

シンプルで単純な発想。

捻った所のない会話。

 

多分、私は、男に父の影を求めている。

 

いや、正確には、多分、理想の父を。

 

本来そうであって欲しかった、多分きっと、良い父親になるであろう、明るくてシンプルな理想の父親を。

 

私は求めている。

 

男の子の寝顔を見ていると、どうしようもなく愛しい気持ちと悲しい気持ちが込み上げて、いつだって泣きたい気持ちになる。

 

その無邪気さ、身軽さは、きっといつか私を置いて行ってしまう。

 

事実私はずっと置いていかれた。

 

当たり前だ。

 

妊娠する能力も出産する能力もない。

月に一度血を流さない女。

紛い物の女。

 

誰も私を本当の意味では選ばない。

 

いや、このご時世、幸福な恋人達もいるだろう。

だから結局これは、私の生まれに関わらず、私がそもそも重い女である事が原因なのだ。

 

重いのに、ずっと身軽な女。

決して身重になる事のない女。

重さを、その身に抱えることの出来ない女。

 

彼らの

男の子の寝顔に、私は多分

 

男を

父を

子供を

 

重ねている。

 

いつかきっと父になるであろう彼ら。

と同時に、確かに誰かの子供でもある、男の寝顔を。

 

好きになる人はいつも「良い父親になりそう」な人だった。

当然だった。

私が本当に欲しかったものは、優しい父親だったのだから。

 

健康的な父親。

明るく、間の抜けた、ちょっとひょうきんで気難しい所のない、優しい父。

 

眠る彼らも、いつか父親になるだろう。

 

その時の姿がありありと想像出来る。

 

そして彼らの未来の中に私はいない。

何故か。簡単だ。

私は産めない。

 

彼らが父になる権利を剥奪しつつ、愛する事はどうしようもなく苦痛だった。

 

どうしようもなく無力で、無能に思えた。

 

ああどうしてよ。

なんで私に、産めないのに、そんなもの産めやしないのに、私にそんな、母性のようなものを与えたの。神様。

 

この世で本当に欲しいものは、私には絶対に手に入らないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔から男の子の寝顔を見るのが好きだった。

 

 

私は多分、人と少し違うけれど、誰よりも普通で、特別な能力も性質も備えない、つまらない女だったと思う。

 

でもだからこそ、なんで私は枠組みから外れなければならなかったのだろう。

 

私が好きな人に、私を好きな人に、未来を思い描く権利を奪う人間にならなければならなかったのだろう。

 

そうでなければ、さもなくば、変わり者を良しとする人となりならどれほど良かったか。

私は私の重さと詰まらなさを憎んでいる。

 

私は異質なのに、普通を求めている。

 

私が本当に欲しかったもの。

それは多分家族なのだ。

 

恋人の、その先にある、多分長い間、変わる事のないもの。

 

受け継がれていくもの。

 

いつかこの世に、私がいなくなったあとも生き続けていくもの、いのち。

 

 

それを、私は永久にこの世に遺すことが出来ない。

 

私は、消えていく。

 

ひと月に一度血を流さない女。

血を残せない女。

繋げない女。

 

 

昔から男の子の寝顔を見るのが好きだった。

 

彼らの中にある、無邪気さはいつも私をつかまえて、軽々と運んでいく。

 

彼らの権利を簒奪する事は誰にも出来ない。

繋ぐことが出来ない。

繋ぎとめておく命のロープが、私には無かった。

 

 

だからどうか、貴方がずっと幸せに生きられますように。

 

いつかその手に子供を抱いて、その小さく歪な命の塊に戸惑い、きっと破顔して下さい。

 

 

どうか、幸せに生きられますように。

 

その血を、貴方がこの世に確かにいた事の奇跡を、きっと、絶やす事のないように。